私の徒然草


日本に2週間一時帰国してきました。今年は梅雨が長かったせいで夏が短く、お盆を過ぎて蝉の声が聞こえなくなったと共に 朝晩急に涼しくなりクーラーなしでも過ごせた程です。とはいえ 日中は30度を越す暑さに戻りましたが 今このイギリスの寂しさを感じると 置いてきた恋人のようにあの暑さが恋しいのです。
実家の近所にニコニコ堂という古本屋がありまして帰国すると必ず立ち寄ります。今回も暇つぶしの本を物色しに行くと いきなり「徒然草」の訳本が目に留まりました。古典のエッセイというか 今に置き換えれば人生についてのブログのような面白さがあり、前からもう一度読んでみたいと思っていたのに日々の忙しさでそんな思いも忘れていましたが ニコニコ堂でよみがえりました。時差ぼけで小鳥よりも早く目覚めるこの数日 結構楽しんでます。「つれづれなるままに 日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく、、、」高校時代暗記させられた句が 硬くなった脳みそから流れるようです。牛乳瓶の底のメガネの先生の顔と本当に古典の授業が大嫌いだったことも思い出しました。あのころはこんなの訳わかんなーいと思っていましたが 今この歳になって 1つ1つの話が700余年前とは思えないほど良くわかるのです。人の見方、物の見方、今の時代に通ずることばかりで感激し感心させられます。 何かでボケ防止には音読がよい と書いてあったので音読をぼそぼそと試みましたが舌を噛みそうなのでやめました。音読には 歌の音のセンスも必要かも。で、なぜこんなことを今回ブログにだらだらと書いているのかと申しますと 私には兼好様のような知識も学もございませんが お花の知識と経験はそこそこあるつもりではあるので レッスンのお花についてだけではなく、お花について私なりの思いをもう少し書いてみよう、そう考えたからです。
母の記憶がここ最近 悲しいほどすこしづつ失われてきています。そんな母でも 今でも花を部屋に飾ることは忘れません。今月母の誕生日に妹が買ってきたケーキのおまけについていた1輪のデルフィニウムが長いことテーブルの上に飾ってありました。春帰った時は父が丹精に育てたチューリップの鉢から いきなり手でへし折って 花瓶にささってました。そういえば子供のころ 急にお友達からその日のお誕生日会の誘いを受けてプレゼントの用意がなく困っていたら 母はテレビの上の花瓶にあった花を ささっとデパートの包装紙に包み リボンをつけ 「これ持って行きなさい」と手渡してくれました。その頃 花束のプレゼントなんて誰が考えたでしょう。お友達はすごく喜んでくれました。私がそんなことを覚えてるなんて言っても もちろん忘れてるでしょう。母の記憶が薄れても母はずっと花が大好きなのです。

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